SAC東京6期コースⅠ第11回月例会 事務局レポート
日本人の死生観 ―過去・現在・未来―
コースⅠ第11回月例会は、教養教育院 鈴木岩弓総長特命教授による「日本人の死生観 ―過去・現在・未来―」が講義テーマです。
超高齢社会における医療・介護、そしてシニアビジネスを行う上で、私たち日本人の「死生観」を理解することは不可欠です。しかし、「死生観」は観念の問題であるため目で見ることができません。本日の講義は観念に基づいて執り行われる行為、特に死者に対してなされる「葬送儀礼」から死生観のイメージを深め、他者の観念を把握していきました。まずは、過去から現在における生き方、死に方の変化を知ることから講義が始まりました。
民俗世界からみた死生観
鈴木先生は、「死生観」とは、死を見据えてどう生きるかということであると定義しました。自分の死は、想定はできても経験はできません。自分の死は、他者の死を鏡にするしかないのです。民俗儀礼を通して、民俗の間で語り継がれてきた「民俗知」を視覚化していきます。
他者の死生観を把握する手掛かりとして、「観念」に基づいて作られた「モノ」、「観念」に基づいた「行為」の説明がありました。現在では、死に関わることや儀礼から察することが少なくなっていることが問題であることが分かりました。
いのちの始まり?
いのちの始まりはいつでしょうか?キリスト教の影響が大きい欧米では、「受精卵」をいのちの始まりと考える人々が多いのに対し、日本人は「胎児(お腹の中にいる時)」とする回答の多いことがNHK放送文化研究所「生命倫理に関する意識調査」(2014年)で説明されました。
法律からみた場合、医学から見た場合、宗教からみた場合など、民俗社会におけるいのちの始まりは異なります。国や宗教によっていのちの捉え方が異なること、いのちの始まりは人間社会によって定義づけられていることが分かりました。
いのちの終わり?
「死」や「死ぬ」という意味は、辞典によると「生命」がなくなること、「息」が絶えることを意味します。そこから、生きていくためのエネルギーの象徴がなくなることと推測しました。
近年、死の認定にも変化が見られ、医学的死とされる心拍停止・呼吸停止・瞳孔散大の三徴候に加え、「脳死」が登場しました。脳の働きは消失しても、心臓と呼吸機能は継続する状態であることから、移植医療を前提に誕生した言葉です。
脳死と宣告された母親が出産をした海外の事例が挙げられました。「脳死」を死と認めた場合、生まれた赤ちゃんは死者から生まれたことになります。
「死」の認定は、科学的真理・哲学的真理などではなく人が決める「文化」であり、歴史・文化・宗教等の背景により異なり、時代により変化するということです。
生と死の循環
生の儀礼として妊娠五ヶ月目の帯祝いから始まり、歳祝いまでの説明が実際の儀礼写真で紹介されました。また、同じように通夜から弔い上げの死の儀式の説明がありました。
これらを、誕生祝―結婚式―葬式―三十三回忌の円周で表すと、生後しばらくと死後しばらくの儀礼が非常に頻繁、かつ密に行われていることが可視化できます。この時期は、生まれたばかりの霊魂不安定期と死んだ後の死霊不安定期の期間であり、周りの人間が儀礼を行うことで霊魂を落ち着かせようとするためのようです。
生き方・死に方に変化
医療技術の進歩により生死の時間軸が変化しました。生から死の時間(寿命)が伸び、エコー写真で母胎内の胎児が可視化されるなど、生の時間が拡張したとも言えるようです。
産業構造の変化により生死を取り巻く社会が変化しました。人口の都市集中化、地方の過疎化により、地域の紐帯は希薄化しました。葬送に関わる地域共同体も希薄化し、専門業者が行うようになりました。
また、制度・意識としてのイエの崩壊により世代交代の希薄化や、墓じまい・永代供養墓が増えています。イエ亡き時代が到来し、生死の担い手がいなくなったのです。
脳死という概念が一般庶民にも意識されるようになり、日本人の生き方・死に方に変化が出てきました。現在、多くの雑誌が、墓・葬式・死などを取り上げるようになった契機は脳死問題だったと鈴木先生はお考えです。
QOL(Quality of Life)はQOD(Quality of Dying)へ
WHO(World Health Organization:世界保健機関)のQOLの定義は、一個人が生活する文化や価値観のなかで、目標や期待、基準、関心に関連した自分自身の人生の状況に対する認識を言います。
このQOLに対し、QOD(Quality of Death)が言われますが、鈴木先生はこれをQuality of Dying(死に行くときの質)と説き、死ぬ時だけでなく、死に向かっていく過程の質を大切にする考えを説明しました。
また、QOLAD(Quality of Living after Death)、すなわち線としての死である来世観を説明されました。死後のイメージまでをどう考えるのかが大切であり、死ぬ前、死の瞬間、死んだ後、この3つを生(Living)として捉える重要性を述べられ講義は終了しました。
(以上で講義終了)
〔グループトークによる質疑〕(質疑のみ記載)
Q1.高齢者になればなるほど、あの世や宗教を信じるようになるか?
Q2.YouTubeでお坊さんがお経をあげるサービスを行った場合、宗教活動になるか?
Q3.デジタルヒューマンの技術による死後の捉え方をどう考えるか?
Q4.1月の後、7,8月生まれが多い理由は何か?
Q5.終活ビジネス勃興のきっかけは何か?
Q6.異世界転生もののライトノベルが急激に増えている理由は何か?
Q7.ネット上で墓地を設けるビジネスは、実際に墓地を建てる法律に抵触するか?
Q8. 海外の死生観の動向を教えてほしい
Q9. あの世を信じる人の割合は、統計方法によって異なるか?
Q10.死に対する道徳的な考え方は、ヒトとしてどう伝えるべきか?
〔総括〕
村田特任教授よりポイント4点が示されました。
- 過去、生と死の決め手は哲学的な心理ではなく、人が作ってきた文化の中で決められてきたということを学びました。伝統的死生観は、円環的、循環的な図で表されました。
- 現代は、医療技術の進歩、産業構造の変化や超高齢社会の進展により、特に日本人の生き方、死に方の価値観に変化が見られました。特に、鈴木先生が示された「イエ意識がない」時代は来ていて、更に進行してきた時に価値観をどのように変えていくかが重要です。
- 未来に向けて、死を点で捉えるのはなくQuality of Dying(死に行くときの質)に目を向けることが必要です。さらには、生きているとき、死にゆくとき、更に死んだ後のことも考えるQOLAD(Quality of Living after Death)が重要です。
- 人の消費行動は変化で生まれます。どういう変化が起こり、どういう需要が生まれるかによって消費行動は変わります。今日の講義で示された変化の話しから、様々なビジネスチャンスに繋がることと思います。
以上
(文責:SAC東京事務局)
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