SAC東京5期コースⅡ第4回月例会 事務局レポート

日本人の死生観 ~過去・現在・未来~

日本人の死生観〜過去・現代・未来〜をテーマに鈴木岩弓総長特命教授のご登壇です。実際の現実をみて宗教を研究しているという鈴木先生は「時が僕に追い付いて、人前で死の話ができるようになりました」と会場を沸かします。時代の変化を感じながら講義が始まりました。

民俗世界から見た死生観

民俗儀礼は民俗知の視覚化であると過去の出来事や考え方を示していきます。丙午(ヒノエウマ)信仰では、丙午の年に産まれた女性は運勢が強過ぎて夫を早死にさせるといわれたそうです。そのために間引きという現象が起きていたことをデータで知りました。生者の都合でいのちを操作してきたのです。

いのちの始まりとは

法律からみても民法と刑法で扱いが異なります。医学からみても、宗教によっても異なることをあらためて知りました。

民俗社会におけるいのちの始まりの話では、衝撃的な話を聞きました。産声を上げるまでは間引きが可能であり、産婆さんは「産ませない技」も持っていたのです。

「七歳までは神の子」という考えでは、あの世で大人役をさせないために昭和30年代まで、葬式をせずにナキモノとして庭に埋めることがあったそうです。これらの事実に驚いたのは、私だけでは無かったと思います。

いのちの終わりとは

生と死の決め手は科学的真理・哲学的真理などではなく人が決める「文化」と言います。1985年、脳死の登場で死は文化と考えるようになったそうです。

超高齢多死社会到来

日本人の生き方・死に方に変化が起きていることを生の儀式、死の儀式、生と死の循環、現代日本人の生と死で考えていきました。

QOLはQOD

QOLAD(Quality of Living after Death)は、線としての死であるという来世観です。死後の生もどう考えるのかが大切であり、死ぬ前、死の瞬間、死んだ後、この3つを生(Living)としてとらえるのがこの考え方です。

参加者たちからの質問にも軽快にコメントをくれる鈴木先生です。「死の話は縁遠い」と感じながらも、多くの参加者たちは心が軽くなっていきました。死を見据えてどう生きるか?が死生観であることが腑に落ちてきたようです。

Q1.臨床宗教師のルールはあるのか?
Q2.QODの基準はあるのか?
Q3.死後の儀礼は当人が望まなければ不要か?
Q4.今の社会で葬儀・墓は誰のものか?
Q5.死後霊魂の存在を信じますか?
Q6.土葬から火葬への変化は死生観の変化?
Q7.テクノロジーの発展で今後どう変化すると考えますか?
Q8.生命誕生の定義のように死の定義も宗派で変わるの?
Q9.死に関わるボランティアを教えて
Q10.人工知能の世界では死のことを扱っているのか?
Q11.日本と欧米の流産の対応の違いを教えて
Q12.墓終いの現状は?

死がタブー視されるようになったのは近代(産業革命以降)になってからのようです。時代の価値観を捉えることで、近未来の予測ができることをあらためて考える月例会となりました。

以上

(文責:SAC東京事務局)

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