SAC東京コースⅠ第9回月例会 事務局レポート

12月22日開催 SAC東京コースⅠ第9回月例会 事務局レポート

blog161222sac1-9-1今回の講義の講師は大学院文学研究科の阿部恒之教授、テーマは「美しさと加齢」です。

阿部教授は心理学が専門です。11年前まで資生堂ビューティーサイエンス研究所の研究員として「化粧」を研究してきました、と自己紹介から始まりました。その対抗として「ストレス、感情」も研究してきたそうです。

東日本大震災に関する研究も行い「大震災と犯罪(法律文化社)」の著者でもある阿部教授は、「見た目の美しさ」よりも、被災地で暮らし続ける人々の「振る舞いの美しさ」が人の心を打つと会場の参加者を見渡しました。

阿部教授は加齢とともに美しさがどう変化していくか、心理学からアプローチしています。大学では文学研究科に身を置いていますが、研究自体は理系に近い学問であり加齢医学研究所の脳科学研究とも関連している分野です。

まずは、講義は文学研究者らしく哲学や古典文学から入っていきました。21世紀の死生観がどのようになっていくかと「美しさと加齢」との関係を検証するためです。

中世紀末期におけるヨーロッパの生命観

教授が示したのはヴァニタスの静物画です。この絵の中に描かれた砂時計やお金から「虚しさ」について説いて行きました。

次に古代ローマ人の詩人ホラティウスの歌に登場する語句「今日という日の花を摘め」と訳される「カルペ・ディエム」の話へ移っていきました。「摘めるうちにバラの蕾を摘みなさい」、すなわち「この瞬間を楽しめ」という意味です。

「メメント・モリ」とはラテン語で、「自分はいつか必ず死ぬことを忘れるな」、すなわち「今を大事に生きよ」という意味の警句です。「死を記憶せよ」などと訳され芸術作品のモチーフとして使われてきました。

「死の舞踏」は、中世末期14から15世紀のヨーロッパにて流布した寓話であり、たくさんの絵画や彫刻に「生の儚さ」が描かれ、そしてバロック美術として昇華していきました。

ここに描かれたものは、ペスト大流行による病死、百年戦争による戦没などの時代背景の中、死の恐怖と生への執着の中で「所詮は空虚」であり、「死を想え」という死生観でした。

日本でも「ゴンドラの唄」の中の歌詞「命短し恋せよ乙女」に同じ意味を見いだすことができるという阿部教授です。

美しさと自己像

blog161222sac1-9-3次に、「21世紀の死生観」から「美しさと加齢」について講義は進んで行きました。まずは「美しさと自己像」を検証して行きます。

今の年齢にふさわしい理想像が自分の思い描く「自己像」です。しかし、そこには現実とのギャップが存在しています。

日本顔学会の理事も務める阿部教授は自らの46歳から54歳までの似顔絵を披露してくれました。「年々目尻が下がってきた、顔が毎年丸くなった、好々爺風になってきた」と自己評価をしながら、現実と理想のギャップを説明してくれました。

これらの似顔絵は教授にとって現実より少し理想に近く描かれているそうです。海外の人が見るとまた印象が異なるということも興味深い点です。

現実よりも理想が高いということは「欲」であり、「少しでも理想に近付いていたい」と思うことは、生きるために重要なガソリンだと指摘する阿部教授です。

体からみた老いの現在

「今の年齢にふさわしい理想像」も社会に合わせて変化しています。西洋における過去の老人のイメージは「老醜」であり、発展を目指す社会活動には馴染まない存在でした。今の高齢者はどういう状況にあるのでしょうか。「老いの現在」を具体的なデータから見ていきます。

ここでいくつかの「体力・運動能力調査(文部科学省)」による2004年-2014年の10年間の比較データが示されました。

「30秒で何回上体起こしができるか」調査では、「加齢により、次第に筋力は衰える」というこれまでの一般のイメージとは異なり、「年々、筋力は増大している」という結果となっています。

同様に「一時間以上休まないで歩ける人の割合」調査では持久力向上、「開眼片脚立ち30秒以上できる人の割合」調査では平衡感覚向上、特に女性の伸びが顕著です。「長座体前屈が何センチできるか」調査では柔軟性は横ばいですが、70歳以上の女性に関しては年々柔軟性向上となっています。

阿部教授も「私的事例ですが」と言いながら、五十肩痛対策ではじめたぶらさがり懸垂器で最初の5回から、今では40回できるようになったことを教えてくれました。

高齢者の身体機能もトレーニング次第で向上することが証明されました。
体力について、加齢は一律の下り坂の要因にはならないということが分かってきました。過ごし方によって下りの角度が緩やかになり、場合によっては再度上り坂になることも有り得ます。

精神・知能面から見た老いの現在

それでは「精神・知能面」はどうでしょうか。心理学者の阿部教授はベティ・フリーダン著「老いの泉」で紹介されている「ラブブィー=ビィーフの研究」を引用して説明していきます。

母屋と車庫が異なる位置に配置されている二つの図を示し「芝地の面積はどう変わるか?」と尋ねます。「芝地の面積は変わらない」という答えが正解なのですが、意外と高齢者の多くは正解できません。決して知能指数が低い訳ではなく、図を見る際に、実生活上の知恵が邪魔してしまい、単に面積だけではない別な情報が気にかかってしまうというのです。正解よりも自分にとっての意味を求めてしまうが故に不正解となってしまうのです。

IQテスト

阿部教授は、知能指数を測るIQテストも開発者が壮年だったために知能検査自体が未熟だったのではないかと指摘しました。検査項目が壮年の課題作成者の知能に合わせて作成されたために、高齢者の知能を正しく測っていなかった可能性があるそうです。

精神機能(知恵)には、様々な種類があって一つではありません。加齢によって衰える機能もあれば、死ぬまで成長する機能もあります。

流動性知能と結晶性知能

知能は流動性知能と結晶性知能に分けて考える必要があります。流動性知能は抽象的問題解決能力・記憶力であり20歳代を過ぎると衰退していきます。一方、結晶性知能は経験・知識・専門性・知恵の領域であり生涯発達します。一般に高齢者は無意味な抽象論と瞬発力は苦手ですが、具体的で現実的な意味を捉えようとする統合力が長けているようです。

新しく、正しい加齢観

「老いの泉」から学ぶことは、精神機能は加齢により衰退するのではなく、加齢によって「精神機能の質」が変わるという結晶性知能の領域です。

「新しい(正しい)加齢観の誕生」が必要だと主張する阿部教授です。もともと「大老」や「家老」とは尊敬に値する言葉です。水戸の「ご老公」や「ご隠居」は「公務免除」の立場から社会を穏やかに整える能力があるのです。

これまで描いてきた「老人像」は、数%の病気の事例を、多くの老人にあてはめていたに過ぎません。私たち日本人が医療の発展とともに見失ってしまった老人に対する尊敬の念を取り戻さなければならない時代なのだと思いました。

加齢・美

blog161222sac1-9-2「あなたはおいくつですか」という問いに、正直に答える人は40.3%、サバを読んで答える人は59.7%というデータが示されました。そう言えば最近は私もサバを読んで答える側に入っています。

阿部教授は化粧品の広告でたくさん使われている言葉の中の「美しさ=若さ」なのか、と疑問を投げかけました。それを知るために、「美しさと若さ」の関係を調べました。

調査の質問項目は以下の3つです。
「最も女性が美しい年齢」
「最も女性が美しい肌年齢」
「最も女性の肌が健康な年齢」
アンケート回答者は10歳代から60歳代までの女性を世代別に区分し分析されています。

年齢層別の美と健康観がみえてきます。「女性が美しい」という選択は年齢とともに高くなります。「肌の健康」と「身体的健康」は40歳代から50歳代が高くなっています。

避けたい肌の加齢変化を聞くと、「しみ、しわ、たるみ、くすみ、白髪」の順となりました。肌の加齢変化に対する「美しさ評価」と「健康評価」が異なる結果を示している点、しわは多少美しさに欠けますが、決して不健康な評価とはなっていないという結果がとても興味深いところです。

美の最高規範

美の最高規範は、年齢は成人直後の「20歳」、部位は「肌」、状態は「健康」であり、視覚的な老化の印が現れていないという生物学的解釈となります。なぜならば「若さ」とは子孫繁栄を有利にする配偶者選択の重要なサインであるからです。この解釈は分かり易いのですが、なかなか「若さ=美」にはつながってきません。

減点法から加点法の美意識へ

加齢とともに老化の印が現れ理想形が崩れていくというのが「減点法の美意識」です。これは少しでも若返えりをさせたいという気持ちにさせてしまいかねません。例えば、赤ちゃんという肌は理想の肌と言われることがありますが、実はとても弱い肌です。

逆に、加齢による肌への刻印による減点ではなく、加齢とともに認識が深まる「美と健康観」が必要だと阿部教授は説いていきます。それは若さを無理に求めない「年齢なりの美と健康」が最適だとする意識の存在です。

肌を見る目を20歳の若さを絶対の価値規範とするものではなく、年齢ごとにその価値規範を備えていることを強調しました。阿部教授は各年代が持つ肌の美しさ評価を「加点法の美意識」と表現しました。

スマート・エイジングへの共感

「若返り=アンチエイジング(抗加齢)」をめざすのではなく、重要なのは「体力・健康の維持=ホメオスタシス維持能力です。この向上がまさしくスマート・エイジングだと阿部教授は言い切りました。

世阿弥『風姿花伝』を引用し説明が続いていきました。「時分の花」=「若さゆえの美」は「減点法の美意識」です。「まことの花」=「時分の花が消えた後に修練で備わった美」が「加点法の美意識」なのです。

「ポスト生殖器」にこそ「老い」というギフトがあります。阿部教授は鮭の死、カマキリの雄を例にあげました。交尾した後のカマキリの雄は自らの体を使って栄養を与えるために死んでいくのだそうです。

さらに阿部教授は、「嵐よりSMAP、TOKIOの修練」という例えを使って参加者の理解を深めて行こうとしました。最近では若いグループがデビューを繰り返しているせいか、私は「嵐」も修練の状態に入り、深みを増してきたように思いますが、その受け止め方にも個人差があるようです。

続いて、文学研究者らしく江戸中期の俳人・横井也有や天野忠の「老醜」の歌も紹介してくれた阿部教授です。

最後に砂時計の写真が示されました。砂時計の「砂が減る」という減点法ではなく、「砂が増える」という加点法の発想への転換が必要、と阿部教授は参加者へメッセージを伝えて講義を終了しました。

【アイスブレイク・タイム】(質疑のみ掲載)

blog161222sac1-9-4村田特任教授から講義内容を整理し深堀するために、以下の質問が講師へ向けられました。

Q1.現代の死生観・加齢観に影響を与えているものは何か。
Q2.阿部教授の「美しい」という定義は何か。
Q3.加齢とともに蓄積される要素とは何か。

このアイスブレイクによって講義内容が随分整理され、参加者の理解が深まったようです。

【グループトーク】(質疑のみ掲載)

ここからは6グループに分かれグループトーク・タイムです。
個々人の質問を出し合い、お互いに講義内容の理解を深めながら、グループ質問を二つに絞っていただきました。

blog161222sac1-9-5 blog161222sac1-9-6 blog161222sac1-9-7

各グループ・リーダーから以下の質問が出され、阿部教授が丁寧に回答していきました。

blog161222sac1-9-11<グループ1>
Q1.「各年代の肌の美しさ評価グラフ」の差、矛盾について。
Q2.美の意識には自己意識が重要、そこに向けた企業の広告アプローチ方法は。

<グループ2>
Q1.これからの社会は、美の減点法から加点法の気持ちを持っている人へシフトしていくのか。
Q2.美の加点法的思考へ高齢者を変える方法は。

<グループ3>
Q1.価値観が切り替わる要素は何か。
Q2.今後先生がやりたい研究は何か。

blog161222sac1-9-8 blog161222sac1-9-9 blog161222sac1-9-10

<グループ4>
Q1.アフリカとアジアなど、美しさの地域差をどう捉えるのか
Q2.男性の美しさはどうか、何が期待されるか。

<グループ5>
Q1.美の加点法的な実践している高齢者を選びにくい、どういうモデルが想定できるのか。
Q2.年齢なりの美しさや若返りをテーマにするビジネスは化粧品以外に何があるか。

<グループ6>
Q1.外見の管理など、今後、スマート・エイジングの尺度、数値化の可能性などはどうか。
Q2.美しさやプラスの元気など、高齢期に期待する先生の考えは何か。

以上のグループ質疑&回答をもって第9回コースⅠ月例会が終了いたしました。

阿部教授が質疑回答の中で、化粧品会社の広告コピー「マイナス5歳肌」の表現を強く戒めたことがとても印象に残りました。この表現が超高齢社会における恐怖コミュニケーションの一つになる、企業が目指すべきことではないと警鐘を鳴らしています。

確かに若いことは素晴らしい可能性を持っています。しかし、若いことだけが価値があるわけではありません。本月例会では加齢によって得られる経験や知恵、ふるまいも美として評価するバランスが重要であることを学びました。その応用こそが健康寿命延伸ビジネスの創出のポイントです。

以上

(文責)SAC東京事務局

過去のSAC東京月例会 事務局レポートはこちら

過去のSAC東京月例会 参加者の声はこちら

あわせて読みたい関連記事

サブコンテンツ

このページの先頭へ