SAC東京3期コースⅡ第8回月例会 事務局レポート

11月22日開催 SAC東京コースⅡ 第8回月例会 事務局レポート

「宗教が人間にとってどんな意味があるのか?の心もちを研究しています」と自己紹介する鈴木岩弓東北大学総長特命教授は、笑顔とユーモラスな語り口調で参加者を引き付けていきました。日本人の死生観―過去・現在・未来―を宗教民俗学・死生学から研究する鈴木先生に学びます。

死生観

広辞苑での死生観とは、死と生についての考え方、生き方・死に方についての考え方とありますが、鈴木先生は「死」に対して想いを巡らすことと、「死」を見据えてどう生きるか?が大切なのだと講義が始まりました。

この「~観」は考え方や概念です。各自が持っているものですが、見ることはできません。他者の概念の把握においては、その概念に基づく行為が手がかりになるのです。

人間の歴史

人間は「楽をしよう」を求めて今があります。これは「苦」からの解放のことです。文明の発達、技術開発も、確かに「楽」を求めて発展しています。

四苦八苦(仏教用語

「四苦」とは、「生」、「老」、「病」、「死」の4つのライフステージのことだそうです。そのうちの「生」、「老」、「病」の3つは自己のものとして経験できますが、「死」は経験できるものではありません。いつか死ぬことは分かっているものの、死んだらどうなるのかがわからないのです。

八苦は、この「四苦」に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦が加わるそうです。

人生最大の課題「死後どうなるのか?」

「いずれ死ぬ我々が、今をどう生きるのか」と言葉に力が入る鈴木先生です。「死」は不可逆的現象であると説きながら「死後の世界から誰も戻って来ないのは、良い世界なのでしょう。証明できないから言えるのですけれどね」と参加者を笑わせます。「死」を忌み嫌う日本人に「死を考える」ことのハードルを下げてくれているように感じました。

現代日本の「死」の状況

総人口と死者数を年代別にみていきました。2015年、総人口126,958,000人中、総死者数1,290,444人で1.02%です。一年間で、およそ人口100人に1人が死亡しています。身近な人100人の中で1人が死ぬとして考えてみると、急に「死」が身近になりました。しかし、学生などの若者に年間の死者数を質問すると、とんでもない答えが返ってくるそうです。普通に生活しているとこの状況はわからないのです。

老少不定

5歳年齢階級別死亡者の割合を0歳~80歳(80歳以上)のグラフで学びました。1920年では5歳以下の乳幼児の死者が37%を占めていますが、その他の年代では概ね全ての年代で5%程度の死亡者が発生しています。常に身近に「死」があり、「死」を意識して生活した時代であったようです。

高齢期後の「死」

医療技術が進歩して、小児が死亡しなくなった現代を2015年のデータが示します。40歳代から緩やかに死亡者が増え始め、80歳からの時代で60%以上が「死」を迎えていることがわかります。齢をとらないと死なない現代の日本では、若い時期の「死」は辛く、受け入れられないものとなっていることが分かりました。

高齢化率

1970年、高齢化率7%以上の「高齢化社会」に突入しました。1994年には、14%以上の「高齢社会」、2007年では21%以上の「超高齢社会」に突入となってしまいました。この先の推移では高齢化率28%以上を「超々高齢社会」、35%以上を「超々々高齢社会」とでも呼ぶのでしょうか。「まるで女子高生のようですね」と参加者の重たい空気をほぐしながら講義は進みます。

超高齢多死社会の到来

「老」という文字は「おいる」「ふける」と読みますが、「なれる」とも読み「長けている」という意味です。多死時代の今こそ、スマート・エイジングが大切であり、「僕がやっているのはスマート・ダイイングですね」と死後の世界につなげていきました。

「死者」とは誰か?

「死者」は見えないためにその存在の証明はできません。しかし、日本人の70%が、一年に1回以上は亡くなった人との出会いのためにお墓参りに行っているようです。手を合わせた瞬間が「死者」との交流ではありませんか?と言われると納得です。多くの参加者が頷いていました。

「死者」と「生者」の接点

家族・親戚など想いのある故人は「意味ある死者」であり、新聞に出る事故死者や他人のお墓など想いのない故人は「一般的死者」と分けて考えてみました。霊肉二分論では、死を迎えることによって肉体は消滅しますが、霊魂は不滅という考えも示されました。

死後霊魂の存在

この半世紀の間、いつの時代でも霊魂の存在を信じない人が20~30%いることが分かる調査が紹介されました。その中で、2003年に鈴木先生が行った調査では信じる人が53.4%と他と比べると高いのですが、調査というものは、どういう状況で行うかによって引き出される数値は変わってしまいます。個別記入の方が本音がみえることが多いことも知りました。

「死者」への対応は誰が?

近年までは死亡直後は「地縁」で対応し、時間と共に「イエ」中心での対応となっていました。トムライアゲが終わると先祖代々としてまとめることで、安心して「死者」を忘れることができる絶妙なシステムの日本でした。

現代社会の葬送習俗では死亡直後は葬祭業者中心の対応であり、次第に「イエ」中心の対応へとなっていることが多いようです。
「死者」を人称で整理したり、対面経験の有無で考えても、「死者」に対する想いが変わることを学びました。

「生の儀礼」と「死の儀礼」の変化

伝統的生活様式が消滅し、宗教離れなど価値観が変わっています。今では「死の儀礼」が50回忌どころか、3回忌で終了する傾向だそうです。自分の家紋を知らない参加者もいました。知っていても必要性を感じている人が少なくなっているようです。

超高齢多死社会を支える私たちです。死んだら終わりと考えるのか?死んだ先のことをどこまで考えて生きていくのか?が求められています。

【アイスブレイク】

村田特任教授の質問に鈴木先生が答えていきます。この深堀りで講義内容が整理される人が多いようです。

Q1.「死後霊魂」の存在調査にて1986年の朝日新聞調査で「信じる」が多いのはなぜ?
Q2.「死」のケガレという考え方はいつ頃からどういう理由で出たのか?
Q3.「イエ」の機能が変わっている中、「死の儀礼」の対応がビジネスチャンスにどうつながるか?

【グループトーク】

グループリーダーが中心となりグループとしての質問を集約します。質問に答える鈴木先生からたくさんの情報をいただきました。

Q1.死生観の変遷について
Q2.「死後霊魂」を信じない人の率は鈴木先生にとっては高いのか?
Q3.臨床宗教師は病気の人を救うの?死ぬ人を救うの?
Q4.散骨で十分という人にはどう対応するの?
Q5.安楽死の受け入れ変化は?

【総括コメント】

村田特任教授は「無くなりつつある墓の代わりになるモノもビジネスチャンスである」ことを提案しました。この提案が社会貢献としての価値があることに気付いた参加者も多かったようです。

「死」の準備をすることは、生きている間を大切にすることです。スマート・ダイイングとスマート・エイジングは見ている視点が違うだけで、見ていることは同じであることを再認識して終了しました。

(文責)SAC東京事務局

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